November 08, 2009

映画評 バタフライ・エフェクト3

お勧め度 ★ ★ ★

バタフライ・エフェクト(もちろん初作)の7掛けくらいの出来である。

主人公は時間跳躍ができることを利用して探偵を行っている男。
これまでと違うのは、主人公が時間跳躍のからくり、といわないまでも時間跳躍
とその実施方法を知っていて、妹という協力者がおり、いろいろアドバイスをして
くれるその道の教授もいることだ。

比較的穏やかな生活営んでいた主人公だが、かつて殺された彼女の真犯人を
捕まえるために時間跳躍を行ったことで、話がおかしくなってくる。修正をしようと
時間跳躍をするごとに主人公の身の上は落ちぶれていき、殺される人間が増え
ていく。

どうにもならない悪循環はこの手の映画の真骨頂であり、おもしろく見れる。
最後の謎解きも比較的意外なところでおちついている。
うまくできてはいるが、さほどおもしろいか、と言われると疑問符がつく。

よくわからないと言うか、意味不明なのは、
・ラストシーンは何を暗示しているのか?暗示していない可能性が高いと
 思われるが。
・行くたびにちゃんと懐中電灯などをもっているのはなぜだろう。
・最初のシチュエーションでは妹は自分の秘密を知らないのに、そういう
 設定(謎解き部分)なのはおかしいのではないか?
・バーのねえちゃんは殺される必要がなかったのになぜ殺されたのか?

などなど、やはり消化し切れていない、(自分がというよりも制作者側が)
映画のような印象を持つのである。

http://butterflyeffect.heteml.jp/
20091004134711


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October 31, 2009

映画評 レスラー

お勧め度 ★ ★ ★ ★ ★

ちまたでは、ミッキー・ロークの姿と本編の主人公がだぶっているのも話題となり、
評価の高い「レスラー」であるが、いまさらながらに視聴。結論としては、たしかに
よい作品である。
映画評である以上、何がどうよいのか、表現する必要があるが、まずもっての良さ
は、その抜群のリアリティである。

ミッキー・ローク演じる主人公のランディは、ラムジンスキーという本名から察するに、
出は東欧かスラブの人間だろうか。80年代にはマディゾンスクエアガーデンを満員
にする人気絶頂のプロレスラーだったのだが、引退せずになぜか今も現役のプロ
レスラーである。旬をすぎているので、お呼びのかかるハコは小さいものばかりで、
ゆうなればドサ回り。しかも、正統派プロレスだけではなく、流血だらだらのインデ
ィーズ的なマッチもこなしている。それでも、リングからの収入は生活を営めない
程度のため、試合のない平日は、近所のスーパーで荷物運びをやっている。住まい
は、トレーラーハウスで、家族はなし。娘が一人いるが、まったくもって疎遠。お金が
入ってやることといえば、ちかくのストリップバーにいくことぐらい。そこの踊り子に
惚れているが、大したアプローチはできない。冬がちかずくと、あちこち破けたところ
にガムテープを貼ってごまかしながらぼろいダウンを着込んで動き回る。

アメリカの低所得者の生活が驚くほど丁寧に描かれている。それだけではない。
ランディがこだわるしょっぱいプロレスもこれまたものすごいリアリティ。試合前の
段取りから、実際の試合、そして試合後の敵味方のギミックを取り払ったレスラー
同士の交歓までが丁寧に描かれている。主人公の必殺技のラムジャムはトップ
コーナーからのダイビングヘッドパットなのだが、トップコーナーにのぼるときの、
足のふらつき具合といったら。

さて、この主人公であるが、試合後に心臓発作を起こし、とうとう、プロレスのでき
ない体になってしまう。プロレスからの引退を決意し、これまでは試合のあった
週末もスーパーで働き始める。娘との和解を何とかしようと、不器用に立ち回る。
ストリップ嬢との恋を進展させようと、これまた中途半端なアタックをする。見て
いて「おまえ、お金は大丈夫なのか?」と言いたくなる。それほどの困窮生活だ。

しばしば、プロレスにはまるとやめられない、ということを聞く。どんなに体をぼろ
ぼろにしようとも、プロレスを続けてしまうのだそうだ。
プロレスをこれまで続けてきた主人公もそのたぐいの人種であるが、結果として
プロレスを続けられなくなって、彼は果たして第二の人生を構築できるのであろ
うか・・・。


基本的な流れとして、常に右肩下がりで、将来に対する展望もほとんどないため、
見ていてつらくなります。従って、そのような状況に置いて彼の下した結論という
のは、自暴自棄であれ、なんであれ、それなりに納得のいくものです。たとえ、
今回、心臓が止まらなかったとしても、その先、筋肉増強剤を打ち、過度の運動を
する彼には心臓が止まるしか、終わりのくることはない。したがって、可能性が
見えてきたストリップ嬢との恋の行方も、結局は悲劇で早晩終わるしか道が残
されていない。そんな余韻を持たせながら、エンディングのブルース・スプリング
スティーンが、これまた効く。この映像の後だからなおさら。

自分に対する楽観的な希望をひとつひとつそぎ落とし、その結果、
「俺ってこの先もこんなもんかな」
と思うことがあるなら、
そんな年齢・時期にさしかかっているのなら必見である。


http://www.wrestler.jp/
P0920


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October 13, 2009

映画評 空気人形

お勧め度 ★ ★ ★ ★

 冒頭のシーン。車窓の先に見える道はぐるぐると回っている。乗り物も
その道にあわせて回っている。どうやら乗り物もその道に沿っているようだ。
こんな回るところはどこかな、この乗り物はなにかな?と考えていると、
思い当たる。
 あぁ、これはお台場に向かう道で、レインボーブリッジだと。乗っている
のはゆりかもめだ。そして、さえない顔をして乗っているファミレス店員の
板尾は、そこからどう帰るのだろうか、佃の対岸である湊の安っぽい、
小汚いアパートに住んでいる。家に帰ると、彼はコンビニ弁当を食べ
ながら人形に話しかける。そして、人形を抱いて、人形を洗って、人形と寝る。

 題名の空気人形とは最近は「ラブドール」などという犬みたいな名前でも
呼ばれているらしい、ダッチワイフだ。
 物語は、このダッチワイフがなぜか、心を持ち、命を持ったことから始まる。
生き始めた人形はアパートの外にでる。そして人々に会う。世間の事件を
自分が犯人であるかの様に語る老婆、代用教員として生き、一人で艶や
かな対岸を眺める老人、老いにあがらう受付嬢、拒食症の女性、父子家庭
の女の子。
 そして、レンタルビデオ屋で彼女は働きはじめ、そこでバイトするアラタに
心を寄せ始める。と、同時にこれまでは意識しなかった、自分の持ち主で
ある板尾に対する嫌悪感を感じ、性欲処理道具である自分という存在に
ついて見つめ始める。

 結論からいうと、マンガではなく映画の話でいうならば、「自虐の詩」より
は数倍優れた作品だ。なによりも作品の中に業田色が色濃く残っている。
そしてそれを損なわずに映像化している。

 たとえば、人形の述懐。そしてちょっとやりすぎだが、オダギリ・ジョーが
人形と再会したときのせりふ。
 また、人形に命が灯るシーン。人間ぽい人形が人形ぽい人間に見えて
くる様が見事。この女優は美人ではないが、見事な演技。
 穴があいてしまった彼女に空気を吹き込むシーン。なんとも官能的だ。
 秘密を条件に肉体関係を求める店長に応じているシーン。自らを機能と
して受け止めつつ、無期質的になっている姿がこれまた。そしてその後の
シーンの生々しさときたら。燃えるゴミと燃えないゴミの複線も見事。

 拒食症の女性とか必要性のわからない役、事態がわかったときの板尾
の驚きというか驚かなさの違和感。アラタのいたがらなさ。など不可思議な
点もあるが、それを補ってあまりある作品。
 さみしい、空虚なひとりぼっちがいっぱい集っている作品である。つかの間
の間、彼女の世界は中央区と江東区のごく一部であった。その中で彼女は
喜怒哀楽し、心を持ったことによるやるせなさがそこかしこに転がっていて、
その中で、彼女のつかのまは本当につかの間であるが、きれいな景色を
現出させている。

 舞台が湊である以上、この映画を見るのは豊洲がもっともふさわしい。

 余談になるが主人公の人形を演じるペ・ドゥナである。彼女はスレンダーで
結果して貧乳ではあるが、それでもなお豊胸しているような形に自分には
思えた。
 作中で空気人形のことを「性欲処理の代用品」と表現しているが、この点
について違和感あり。果たして代用品なのだろうか?と。

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August 31, 2009

映画評 サマーウォーズ

お久しぶりです。

お勧め度 ★ ★ ★ ★

「時をかける少女」がよかったので、こちらも見てみた。

結論;こちらもよい。「時をかける少女」×0.9くらい。

そして、感想。

この監督、若者を描くのがうまい。若者にとって、思春期にとって、
やはり夏は、常に「特別な夏」でなければならないと思う。
なにもなく、夏が終わろうとしている現在を振り返ると、ことさらに
そう思う。

この話の登場人物達にとっては、老若男女にとって、とてつもない
「特別な夏になった」。なんといっても世界を救済するのだから。
あろうことか、世界を壊す元凶と世界を救うかもしれない人間が信
州の上田に親戚の集いとして集まっているのだから、笑える。

ことの事態の重要性と、そのことを理解しない人々、さらにはせっぱ
詰まった状況においても日常性が入り込めるのがアニメの良さだ。
ハリウッド映画ならば最後は延々と30分はフルスロットルにな
って観客もグダグダに疲れてしまうことだろう。このアニメはその点を
特にうまく表現している。うまく表現しているので、「学校1の美女が、
自分の恋人のフリをしてくれと頼んでくる」などという、常識を持って
いなくてもよもや書かないであろう設定も何となく許せるような気が
するからこれまた不思議である。

さて、物語は、高校生の先輩(美人)から田舎帰りの手伝いに
誘われることから始まる。設定されている舞台は、若干の近未来
というところか。OZという仮想世界を構築する、なんだろう、よく
わからんがセカンドライフのもうちょっと現実世界とのつながりが
強いようなもの?(というのも、あらゆる社会活動がOZのフォー
マット上で管理されていたりするので)が行き渡っている一方で、
上田の田舎はいつまでたっても田舎のままで、両者が両立して
いるのが妙にリアルだ、もちろん、でてくる高校生はやはり高校生
だし。話を逸らすと、このOZという仕組みがどのようなものなのか、
オープニングにて説明するのだが、これがなんともうまい。
分かりやすい。

さて、主人公達は本家の祖母の誕生日祝いに暢気に向かうの
だが、その一方で、OZとやらの仮想世界では、「好奇心」を埋め
込まれた人工知能が、暴走を始め、様々なインフラに深刻な
影響を与え始めていた・・・

世界を救う鍵を握る主人公は明らかに天才だが、「数学オリンピック
の日本代表になり損なった」という設定が、見る側に親近感を
多少ではあるがもたらしている。うまい設定。
しかしながら、やはり、特別な人間か、といえば特別な人間。
後半は超人的ですらある。そして、特別な人間には、特別な人間
だけが見える景色がある。ペンタゴンや世界中のPC専門家が
何をしていたのか知らないが、そんなスーパー頭脳でなく、別の
理由で集った上田の彼らが世界を救う。そして、近所ですら
そんなことがあったとは、気づきもしない。

今回は親戚一同、7人の侍よろしく各わき役がいい仕事をしているが、
やはり鍵を握るのは一部の人間である。「特別な人」「一部の人間」。
映画の主題とは関係なく、そんなところに意識が行ってしまった、
四六時中凡人の立場として。
もっと作品に関する感想としては、作中でたまに使われる、
「まだ負けてない!」
単純だけど良い言葉です。

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June 28, 2009

映画評 おくりびと

お勧め度 ★ ★ ★

公開当時からみたかったが、観る機会を逸していた。アカデミー賞を
受賞したおかげで映画館で再び上映される運びとなり、その機会を
とらえて見に行った。

おおざっぱな感想をいうと、いい映画だけどなんか変ね、という感想
になる。所々気になるけどいい映画だね、とならないのは、アカデミー賞
の影響によるものだろう。

納棺士という職業が今もあるのかどうかは知らない。しかし、本木は
よく演じている。「死」を映画として取り扱うというのはなんとも反則技
であるが、それぞれのシーンでほろっとさせられてしまうのもまぁ事実。
とはいえ、なんとも、すっきりとはしないのである。なにがすっきりしない
かといえば、父親に対する悲しみ。そうなのかな~。そんなに簡単では
ないでしょう。この人の人生ってなんだろう?と考える一方で、それより
も自分の人生に悩んでいたのではなかったっけ?あからさまな職業
差別的な発言は周りからはなくなったのかな?

それから奥さん役。広末の演技力は「??」であるが、人物造形が
おかしい。これでは性格破綻者である。「けがらわしい」という言葉は
常軌を逸しているし、「子供ができたの」と、のうのうと家に戻ってくるのも
信じがたい。奥さんと和解して、よかったね、ではなく、これから大丈夫?
これでいいの?とかえって心配になってしまうのである。

映画と一緒でなんともとりとめのない感想になりました

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June 14, 2009

映画評 チョコレート ファイター

お勧め度 ★ ★

出演者と制作者、両者の情熱のみ評価される作品。
主人公の少女は見た目もよいし、アクションもすばらしいが、話自体は
破綻しており、こういう映画を見ると、他の映画がいかに、シナリオとし
て破綻していないかがしみじみと感じられる。「人間って、こんなふうな
動きができるんだ~」という楽しみをしたい人以外には見る価値のない
映画。これを見て、今さらながらスタートレックの評価を上げたくなった。

主人公の少女は、阿部寛とタイのヤクザの女の間に生まれたハーフだ。
阿部寛は抗争にケリを付けて日本に帰国してしまい、女はヤクザの元
を離れ、少女と2人つましく暮らしている。ところが、この親子には安穏
とした暮らしを維持するにはいくつか障壁が存在する。1つには少女が
知的?障害児であることだ。映画ではろくに説明がないが、サイトで見
ると、どうやら自閉症らしい。しかしながら一方で彼女は目で見たカンフ
ーをそれだけで体得するという異能の持ち主でもある。もう一つは母親
が重い病気にかかってしまったことだ。こちらも映画では一切の説明が
ないが、投薬を始めたとたんにぐいぐいと容態が重くなり、髪の毛が抜
ける。どうやらガンらしい。少女は薬代を手に入れるために、母親が
ヤクザ時代だったころの借金を取り立てに回るようになる。

取り立て相手はどれもこれもごろつきで、しかもその部下はなぜかみん
なカンフー使いであり、それぞれの工場や職場でカンフーによる借金争
奪戦が始まる。
ま、このシーンは手を変え品を変えのアクションシーンであるので、ちょうど、
格闘アーケードゲームの実写版を見ているような感覚に陥る。アクション
のみに恍惚とできる観客はよいが、アクションが延々と続くので食傷気味
だ、それがどれほど肉体を駆使した、気合いの入ったアクションだろうと。

物語はここで終わらない。問題は取り立てている金が母親だけのもので
はなく、かつての情夫のものでもあることだ。そこで、これまで嫌がらせを
していた、妙に粘着質のタイヤクザが登場する。かつての阿部寛の敵役
である。この男、彼女の嫌がらせを延々とするのだが、何をしたいのかが
わからない。本人もわかっていないのではないか?ただ彼女をいじめたい
だけなのかもしれない。最初は取り戻したいのかとも思っていたが、病気
の治療をさせるでなく、挙げ句の果てに銃口を突きつけるにおよび、性格
破綻者としか思えない。

そして、そのボスキャラをめぐり、阿部寛も途中から乱入して大立ち回りが
始まるのである。

まぁ、ひどい映画である。
アクションに力を入れる割には、人間の動きがわかっていないのではないか
と首をかしげたくなる。動けば疲れるし、やられればダメージが蓄積される。
格闘ゲームと人間の違いは、ゲームは生命レベルがゼロになるまで平気で
ゼロになったとたんに死ぬ、ピンピンコロリだが、普通の人間は一定以上
のダメージを受けるとがくんと動きが鈍くなってくる。この映画にはそういっ
た配慮がないので、やられたはずの人間がゾンビのように生き返ってくる。
阿部寛もなますに切られたくせにしばらくすると生き返って大立ち回りで
ある。事ここに至ってはコメディですらある。訳がわからないのはラスト
シーン。あの阿部寛の独白に納得して、「うんうん、よかったね」と思える
観客は万に1人もいないだろう。そもそもお腹を銃で撃たれて、立てなか
ったのにいつのまにか参戦していた彼女の世話役のデブはどこに行って
しまったのか?タイで無事にいることを願わずにはいられない。

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June 08, 2009

映画評 スタートレック

お勧め度 ★ ★

 自分は日本ではあまりいないと思われるトレッキーの1人である。
しかし、スタートレック全般が好きなわけではなく、DS9を偏愛する
トレッキーなのである。
 
 なぜDS9を偏愛するかの理由はさておき、自分がスタートレックが
好きなわけは、それはスタートレックがアメリカのよきリベラルを体現
したドラマだからである。あれを観れば、いわゆる学生街のその時々
の主流たる思想が見て取れる。世相の半歩先を行っているのである。

 TOSではクルーの1名だった黒人はDS9ではDS9の責任者となり、
まさにオバマの先駆け。先立つこと約10年の見事さである。ちなみに
前後して放映されたボイジャーでは船長は女性で、これまたクリントン
の先駆けである。

 しかるに、本作は、新キャラではなくカークでありスポック。冷戦時代
の設定なのである。本作は全くの新しい話として展開しているので、
登場人物以外、絡むところがなく、その点では今後どうにでもなる素材
ではあるが、いかんせん登場人物の属性設定が古い。これではなか
なか時代の先取りとは行かないだろう。実際、映画はほとんどアクシ
ョン映画である。

 今となっては古色蒼然のオリジナルシリーズであるが、そのオリジ
ナルシリーズを換骨奪胎するために映画ならではの工夫もある。服装
などがそれだ。宇宙戦艦ヤマトの制服が子供心にとても格好よかった
のに今となっては、いじめに近いデザインであるように、スタートレック
の制服も今となってはあり得ないくらいにかっこうわるい。今回の映画
版では、格好の悪さは相変わらずであるが、オリジナルファンにも怒ら
れず、一方で知らないで観る人間にも違和感を軽く感じさせる程度の
微妙なデザインや素材の質感の変更を行っており、なんとも苦労が忍
ばれる。

 日本公開にあたって、最も問題なのは、観客の知識だろう。ロミュラン
とバルカンの関係について映画を観る観客のうち1割も知っているの
だろうか?最後の台詞が、スタートレックの有名な出だしとわかる観客
がどの程度いるだろうか?知らないでも楽しめる、とはいえ、アメリカ
ではこれを見る人は、ごく基礎的な知識として、ダースベーダーとルーク
が親子であるのと同じくらいの当たり前のこととして認識しているのと
では明らかな差がある。その点で、やはり日本人にとっては不親切な
映画なのである。これを大々的に宣伝する配給元は、商売ではあるか
らしょうがないが、やはりこれまた不誠実であるとも言えよう、ベースが
あって楽しめるものなのだから。そしてそのベースはターミネーターの
ように3本映画を観ればだいたいわかるのとは訳が違うのだ。

 そんなわけで、この映画は、数少ないトレッキーのこれまたオリジナル
シリーズファン向けの映画だ。そうでなければ、膨大なDVDをこれから
購入して、比較的地味なスタートレックを好きになって勉強しようという
奇特な人のための映画である。
 ちなみに、映画は以上をクリアした人間が見ればそこそこおもしろい。

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May 25, 2009

映画評 スラムドッグ$ミリオネア

お勧め度 ★ ★ ★

 アメリカにいるとき、パセリに付いたキアゲハの幼虫(青虫)を育てたことがある。
キアゲハどこにいてもキアゲハで、同じ植物の葉を食べ、同じようなさなぎになり、
同じ模様の蝶になった。それに引き替え、人間の世界に拡散し、その食べ物や
生活様式の多様さといったらどうだろうか?本作品を観て、そのような全く関係ない
感想を持った。

 主人公(ジャマール)は兄のサリムと共にボンベイの貧民街に住んでいた。
インドでは有名な事件なのだろうか?ヒンズー教がイスラムのインド人を襲撃し、
2人は孤児となり彼らに付いてきたラティカという同世代の少女3人で乞食になる。
彼らはやがて、子供を乞食に仕立ててピンハネをするママンという悪党の元へ
連れて行かれる。

 歌のうまい少年は目をつぶして盲目の乞食に、少女はやがては売春婦に仕立
てるのだ。事態を飲み込み、逃げた3人だが、はなぜかサリムが飛び乗った電車
からラティカに伸ばした手を離したことによりラティカはそこの連中に捕まり、
兄弟は電車で街を離れる。それから兄弟は、盗みや詐欺を繰り返して生きていく。

 ラティカの事が忘れられないジャマールは、割のいい観光地のタージマハル近辺
での暮らしを捨てて、名称がムンバイになった旧ボンベイに戻ってくる。ムンバイで
盲目の乞食に出会ったジャマールは彼からラティカの居場所を聞き出し、兄と共に
彼女を救う。もとから凶暴性を身に持っていた兄は、やってきたママンを撃ち殺し、
庇護を求めるために地元のヤクザの元へ、そしてついでにジャマールから美しい
少女となったラティカを奪ってジャマールの前から姿を消す。

 ジャマールはラティカがクイズ番組ミリオネアを観ていたことを知っていたため、
彼女とのコンタクトをとるために番組に出場する。

 本作品は彼が番組において、無学問なのにも関わらず、次々と難問をクリアして
ミリオネアとなったシーンから始まる。なぜ彼が1000ルピーの肖像も知らないのに
アメリカ百ドル札の肖像が誰なのかをしっているのか?なぜ彼がラーマ王子の右手
に持っているものが何なのかを知っているのか?それらは回想シーンとして出て
くる。彼の人生での経験がたまたまこれまでのクイズ番組の構成と合致している
様がそこから判明する。さて、最後の問題、これに答えれば彼の賞金は倍になる、
そして番組をどこかで観ているはずのラティカとは会えるのだろうか~。

 オスカー8部門をとったほどの作品とは思われないが、確かによくできてはいる。
中身に沿った疑問を提示してしまうと、なぜ、非人間的な側面を多くかかえる兄貴は
最後になってそういう気分になったのだろうか?
 最後に踊りが出てくるところに本来のインド映画を感じる。できれば、登場人物で
踊ってほしかった。

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May 17, 2009

映画評 バーン・アフター・リーディング

お勧め度 ★

 コーエン兄弟は「ファーゴ」のようなしっとりとしたそれでいてユーモアの
ある映画も作るかと思いきや、ユーモアは多少あるが、なんともつまらな
い「Oh!ブラザー」のような映画も平気で出してくる。こういってはなんだが、
信用ならない監督である。本作は結論からはいると後者で、シナリオも
破綻はないし、俳優の演技もよくできてはいるが、全くおもしろくない映画
となっている。

 ストーリーはリストラされたCIA分析官(マルコビッチ)がその腹いせに
CIAの暴露情報も混じった自伝を書き始めるのだが、その奥さんは離婚を
考えており、彼のPC情報をひととおりダウンロードしている。そのCDを
離婚弁護士の秘書がスポーツクラブで落としてしまう。

 スポーツクラブでは、アホで人のいいチャド(ブラピ)とその上司で全身
整形を夢見るおばはんが中身を見て、とんでもない機密情報と勘違い。
そのデータをつてに、マルコビッチから金をせしめようと画策する。んで、
話がややこしくなるのは、マルコビッチの奥さんは連邦のSPであるジョー
ジ・クルーニーと不倫中なのだが、クルーニーは相当お盛んで、結婚
紹介所にも登録しており、そこにくる女性を食い物にしている。スポー
ツクラブのブラピの上司もその紹介所の常連で両者が出会うことで、
関係者の不思議な連環ができあがるというわけだ。

 この後は、ちょっとした出来事がごろごろところがり、数人の男に不幸
が降りかかるというのが今回の映画である。

 まぁ、各人の演技、特にブラピのクローゼットから出てきた笑顔は
すばらしい。リストラされるときのマルコビッチの演技も、SPのくせに
すっかり気が動転してしまっているクルーニーもよい。でも映画としては、
こじんまりとストーリーがまとまっているだけで、特におもしろくもなく、
何が残るでもなく、なんで映画にしたのかが、なぜこれほどの俳優が
そろったのかが謎の映画だ。
 男が軒並み貧乏くじ曳いているような所も、なんとなく気に入らない。

 客の入りも悪かったし、早々に上映終了だろう。

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May 05, 2009

映画評 グラン・トリノ

お勧め度 ★ ★ ★ ★

この映画をもって引退との情報もあるクリント・イーストウッド。クリント・イーストウッドに
ついては西部劇も警部劇もどちらも全く興味がなく、映画監督としてのイーストウッドの
方がよっぽど身近なのだが、本作も安定してすばらしい出来映えである。
チェンジリングと立て続けに上映されているが、どういうペースで作成したのだろうか?
ようわからん。

舞台はアメリカの中西部(要は保守的な田舎ってことだな)。主人公の奥さんの葬式
から始まる。この映画は常に生と死、世代というものを感じさせるが、振り返ると
見事な導入である。
主人公は朝鮮戦争で戦ってきたトラウマをかかえ、戦後はフォードの組み立て工として
働いてきた頑固な旧世代のじじいである。息子はトヨタのディーラーで、今時の孫とも
なじめず、奥さんが死んで以来、ほぼ天涯孤独の身の上である。それでも息子は
多少なりとも電話したりしており、自分から見れば、息子もそれなりにえらい。

住宅地もかつては同世代の人々が住んでコミュニティを作っていたのだろうが、
だんだんと白人の住む街から有色人種の住む街になっており治安も悪化、
その辺も主人公は気に入らない。葬式の翌日は隣のベトナムでアメリカ側に
ついたことにより迫害を恐れてアメリカに移住したモンタニャードであるモン族だか
ミャオ族だかの一家が子供の誕生のお祝いをしている。

そこの子供の一人である、タオはおとなしい若者であるが、同族の不良から仲間に
なるようしつこく誘われており、その入隊?儀式として、主人公の愛玩する72年型
グラン・トリノを盗み出そうとして失敗する。
盗難失敗の償いにタオは主人公のところで無償奉仕することになり、一方、不良
どもからは制裁の対象となっていく。


ここからが感想。

見終わり、なるほどね、と納得する。主人公は、式が近いことを血を吐くことで
示しており、結果としてそれが観客にとっても救いになっている。うまく相手に
発砲させるためにはそれなりのテクが必要であり、「あれ、乗り込まないのかな?」
「何でライターくれ、なんて間抜けな台詞を言うのかな」というのがすべて計算尽くで
相手を必然的に等言う鼓動をとらせるような緊張を強いていくステップとなっている。
この話の問題は、タオがどうしてそこまでいじめられなきゃいかんのか?という点の
説明が中途半端な点で、いじめに理由がないとしてもこの制裁はいくらなんでも
常軌を逸している。とはいえ、なんともよくできた映画で、見てよかったと思える
作品である。

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April 07, 2009

映画評 ベンジャミン・バトン

昔、幼少時に、山手線に乗ると、同じ方向に青い京浜東北線が走っていた。
スピードが同じくらいで、無効の車両に乗っている人の姿が見えた。抜きつ
抜かれつ走りながら、自分の乗った電車の方が速いと、妙な喜びを感じた。
この映画は、通常は人と人はこのような人生を歩むのだが、どういう因果か、
対向ですれ違う電車同士の人生を描いた映画である。

不思議な映画である。

主人公のベンジャミン・バトンことブラピは、なぜか、生まれたときが老人で、
どんどん年が若くなっていくという体質の持ち主だ。結論から言うと、彼はそ
の特異体質以外、特筆すべき能力は持ち合わせておらず、この世になんら
影響あることをなしたわけでも何でもない。したがって、ドラマとしてもどこに
でもある一般的な、個人としては重大でも世間的にはどうでもいいような経
験が積み重なって描かれており、歴史の流れは本人とは全く関係のないと
ころで動いている。

それでいて、それなりにおもしろく見せる不思議な映画である。見た人はお
そらく2つのことに気づくのではなかろうか?

一つは、年取るとはどういうことなのか。ベンジャミン・バトンは小さいときは、
少年の心と頭を持った老人である。それなのに、自分たちが彼の目を通じて
世間を見るとき、ついそういった前提を忘れて、自分の年齢で彼の見ている
ものを理解しようとしてしまう。そうすると、年取っている自分と窓の外で遊ん
でいる子供たち、本当は主人公と同年代なのだが、見ているこちらとしては
失われてしまった自らの過去がそこに見えるのだ。やがてベンジャミン・バトン
は大きくなり、中年を迎えてより魅力的な青年となる。彼にとっては普通に
成長しただけだ。ところが自分たちは、今の自分がもし高校生や大学生だっ
たらどうしようか、もっとうまくできるかも、できたかも、と考えてしまう。

二つは、老人と赤ん坊の類似性だ。両者の違いは未来があるかないかで
ある。その点、バトンのいた建物は、未来がない人間の集まりにも関わらず、
変な暗さがなくてよかった。
考えさせられる映画ではなる。

お勧め度 ★ ★ ★ ★

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March 29, 2009

映画評 オーストラリア

お勧め度 ★

たしかにバズ・ラーマンだけあって、映像は凝っているし、音楽も凝っている。
しかし、それ以上の内容はない。

 主人公のキッドマンはイギリスの本物の貴族だったのだが、旦那がなぜか
オーストラリアで一山当てようと牧場経営。あまりにらちがあかないので自ら
オーストラリアにのりこんできたとこから話は始まる。旦那に頼まれて彼女を
迎えに来たのがヒュー・ジャックマンだが、設定がバカという設定なのだろう
か、酒場で大げんかして彼女の荷物で相手をぶちのめして荷物をおしゃかに
するなど、あまり常識では考えられない行動。

 彼女を乗せて牧場のあるFaraway Downsへ。途中カンガルーを撃ち殺す
シーンが最もドキンとしたシーンになるとはこの映画を見ているときにはもち
ろん思わなかったことだよ。

 牧場に着くと様子が変、なんと旦那が殺されていたのだ。殺したのは、畜
産業の大物であるカーニーの手下の何だっけ、フレッチャーという役。こいつは
まぁ、根っからの悪人。カーニーへ旦那の牛を横流ししてけっこうな金を貯め
込んでいたのだ。
 旦那が死んでしまいショックのキッドマンだが、そこは気丈な貴族。気を
取り直してダーウィンまで自ら牛を運び、カーニーの鼻をあかし、金を儲け、
この国からおさらばしようとするのだ。
 もちろんおさらばはしない。なぜなら牧童役のジャックマンと恋愛が盛り
上がってしまうからだ。旦那が死んで数日でもうキスシーンを演じるのだか
ら、この夫婦、そもそも離婚の危機だったのだろうか?それからもう一人、
彼女の心をつかんだのがアボリジニと白人の混血であるクリーミーと地元
では差別的に扱われるなんだっけ、ナラだっけ、忘れた。

 牛を追ってカーニーの鼻をあかすまでが前半。後半は戦争が始まって
フレッチャーは成り上がり、キッドマンの身辺では混血児は捕まって隔離
され、ジャックマンとの仲がぎくしゃくして、さあ困った、という話で、まぁ
なんというかはやく終わってちょうだいな、円満に、という展開になる。

 音楽が派手な割には物語に抑揚はなく、はいはい、と話は進む。席に
ついて見続けるのはひとえに結論を確認するだけというような気分になる。
実際結論は、はいはいの勧善懲悪で予定調和。脇役は死ぬけど主役級
は死なず、若者は生き残って未来に希望有り、いい加減にしてくださいね。
この映画、撮影は大変だったのだろうが、いい映画かどうかは関係者が
一番わかっているだろう。元を取るためだけに情宣などはしないでいただ
きたい、是非にも。

 アボリジニが頻繁に使われるのだが、ただのスピリチュアルな変な
部族である。映画の始まる前にいいわけテロップが流れるが、そんな
ものを流しても何の免罰も許さない。本当にアボリジニはああなのか?
と問いたい。
 時間が長いだけに、なおさら見る価値なし。

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March 15, 2009

映画評 ディファイアンス

お勧め度
★ ★ ★ ★

ナチスから逃れ、森で何とか暮らしていた人たちの話。


ヨーロッパは森だ。
20世紀において、森に隠れれば何とかなる、という事態は日本人には、
少なくとも自分には理解しがたい。

しかしながら、ヨーロッパというのはやはり森なのだろう。赤ずきんちゃんは
おばあちゃんの家に行くのに森を通っていき、オオカミに見られる。

その辺を映画化した「ブラザーズ・グリム」も森だらけの映画。ドイツの地名
にある~バルツは森の意味だと言うし、どうやら日本の里山的なイメージと
はずいぶん違う植生がそこにはあるのだろう。

主人公のビエルスキ3兄妹はベラルーシに住むユダヤ人だ。ナチスの
侵攻から逃れるため、家族を殺された時に森に逃げ込み、そこで略奪
生活と自活を始める。なぜかはわからないが彼らの周りに段々とユダヤ人
が集まり、一大集落となる。近くに展開するソビエトの赤軍と微妙な距離を
取りながら(弟は赤軍に行くが)、彼らはなんとか生き残るすべを模索して
いく。

人が増えれば口が増え、それに伴い必要な食料が増え、そしてそのこと
はドイツ軍や地域の住民を刺激する。森に深く入れば安全は高まるが、
食いつなぐには集落に寄生するしかない。そのような状況で綱渡りの
生存を続けていく。

腹が減れば諍いは高まるし、女をめぐる問題も発生する。薬の不足や
迫り来る冬は大きな脅威だ。

本作のすごいところは、きれい事がほとんどないことだ。
主人公は憎しみに任せて裏切り者のユダヤ一家を惨殺するし、
ユダヤ人に好意的な農家の主人は殺されてしまう。かよわき群衆も
たまたま捕まえたドイツ兵を集団で殴り殺す。人間として平等なはずの
赤軍にも人種差別はあり、ユダヤ人集落の中でも追いつめられた
人間の醜さは存分に発揮される。そのような中、なぜか主人公は
リーダーになり、リーダーとしての決断を下していく。自分が生き
延びたいという欲求以上のモノを持ち得ないような状況で、なぜに
大勢の言ってしまえば生存にとって足手まといな人々を迎え入れ
られるのか?人間性の問われる映画である。

本映画の映像はまさに当時そのものだそうで、撮影現場を見に
来た当時の人々が、あまりの再現性のすごさにそのまま希望して
エキストラになったそうだ。森の映像はいつの季節もとにかく寒
そうで、また、生態系の貧弱さを感じる動物に乏しい世界だ。

ヨーロッパは森かもしれない、だがその森は清貧な美しさで、
決して豊かさややさしさは感じられない。
ビエルスキの集団は映画が終わった後も2年間森に潜み、その中で
さまざまな社会的な施設を営んで人間としての生活を築いていった
そうだ。映画の最後に、実際の当人たちの写真が映し出され、
非常に感動的である。

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March 07, 2009

映画評 チェンジリング

お勧め度 ★ ★ ★ ★ ★

チェンジリングと聞けば、トレッカーなら流体生物オドーを思い浮かべるだろう。
しかしこれはそういう話ではなく、社会派の映画だ。

映画では、いきなり、A true storyとくる。
こうかかれると居ずまいを正さねばならなくなるような強迫観念に駆られる。
字幕では「真実の物語」と出てくるが、そうなると真実とはなんでしょう?
という気になる。ノンフィクションです、程度の訳がふさわしいと思う。
字幕者の日本語に対するセンスというのはいかばかりのものか?

さて、本筋であるが、
1928年のLAが舞台で、子供が誘拐され、4ヶ月後に子供が戻ってくる。
ふつうはめでたしなのだが、その戻ってきた子供が他人だった、と言う事件だ。
母親は、「自分の子供じゃない」と主張するが警察は相手にしない。
警察は、御用医者を使って「精神的ショック」のせいで子供が他人に見える
とか、落ち着けば自分の子供と納得するとか、いろいろ言い含める。

学校の先生が別人だと言ったり、歯医者が違う子供だと言っても取り上げ
ない。挙げ句の果てに母親を拘束して精神病院にぶち込む。もちろん
1928年だから、人として扱われないようなひどい場所だ。

ところが事件はひょんな所から展開を見せる。警察の腐敗を追及する
牧師。そして子供の連続殺人が明らかになった。母親は牧師により病院
から解放され(といっても実際はその直前に退院手続きが執られたこと
になったが)、一つは警察を相手に、一つは殺人者を相手に公聴会と
裁判を見つめていく。

クリント・イーストウッドは死を見つめる監督だ。硫黄島、ミリオンダラー
ベイビー、と、そしてチェンジリング。子供の殺害を写し、殺人者の絞首刑
を写し、殺人幇助の(脅されていたわけで被害者の一人でもあるのだが)
子供に死体埋め立て箇所をもう一回掘らせる。

そして、クリント・イーストウッドはひたむきな生き方をする人を撮る監督だ。
どの主人公も、しなやかに状況を受け入れながらも折れることなく生きて
いく。そしてろくでもない連中がいる一方でそのような人たちを助ける人
たちがいる。世の中の一部をきれいに切り取った映画はどれもこれも
見事で、今の時代、映画館に行くにあたり、最も安心してお金を出せる
監督だと思う。

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January 12, 2009

映画評 ウォーリー

お勧め度 ★

チェ・ゲバラとどちらにしようかと考え、先に上映が終わってしまいそうな
こちらを選択。

粗筋は改めていうまでもないが、Wall・EとはWaste Allocation~なんちゃ
ら、の略だそうで、ゴミを固めてまとめることをプログラミングされたロボット
だ。地球がゴミであふれてしまい、人類が住めなくなったため、人類は
ノアの箱船よろしく、地球外に脱出し、その間にウォーリーがゴミを片付
けて地球を再び人の住める状態にするわけだ(固めるだけでどうして人が
住めるようになるのかは謎)。当初は数年で片付くはずだったらしいのだが、
計画は失敗し、地球は遺棄される。しかしそんなこと知らないウォーリーは
仲間が壊れて動かなくなるなか、最後の1台としてゴミの摩天楼を築き続
けるのだ。ウォーリーがなぜ人間に近い感情を持っているのかは何の説明
もないが、彼?の趣味は昔のダンス映画を見ることで、異性とのデートや
手つなぎを夢見ている。

そんな彼が700歳を迎える頃、ノアの箱船から探索ロボットが地上に派遣
されていてそのうちの一台、名前はイヴ、植物探査ロボットと出会う。
イヴはウォーリーの見つけた植物を捕獲し、その情報を宇宙船に持ち帰る。
イヴに恋しているウォーリーは非現実的にも探査船にしがみついてイヴを
追いかけて箱船へ。

箱船では、まさに700年もの間航行している、今となってはSFガジェットと
してもあまり使われなくなってしまった世代宇宙船で、人間はカウチポテト
族になって生きている。どうやって膨大な生命維持の資源を確保している
のかはこれまた謎。ゴミ捨てがけっこうあり、あまりリサイクルも進んでい
ないようで、非常に絵柄と併せてリアリティ・説明に乏しい船内設定である。

植物の発見とそれによる地球への帰還、人類の生命維持のために永遠
の航行を続けようとする船、そして、イヴ一途のウォーリーと途中から自
意識を持ったイヴ。これらが相まって植物争奪と人類の存続をかけた争い
が当事者のしっかりとした認識なく進んでいく。


ピクサーなので、今更、映像では驚きません。それに、機械の感情表現
ならカーズの方が上。問題は筋であり、リアリティ。リアリティというのは、
現実的である必要性ではなく、その世界がしっかり説明可能な世界とし
て構築されている、という点。

リアリティの点で、この映画は、なぜウォーリーとイヴが自意識を持ち
得たのか?なんで恋愛なのか?植物一つ見つけて帰還なんてまっとう
な意志決定と言えるのか?群衆の無知蒙昧ぶりはなんなのか?ちな
みに群衆は見たところみんなアメリカ人だったが、そうなのか?すべて
が満たされている状態でカウチポテトでぬるい幸せという船内設定は
1970年代にすでに信憑性を失っている設定ではないのか?ウォーリー
が基盤を変えても記憶を取り戻せたのはなぜなのか?これは心はど
こにあるのか?というずぶずぶの大きな問いにつながるのだが、映画
では放置プレー。ついでに言うと、思い出さない方が、映画としては
締まりました、これはこの映画が駄作であることのだめ押し。

気になり出すと映画なんてまったく楽しめません。もちろん、映画内で
説明はなされず、計算された筋(ゴキブリがつぶれても死なないとい
ったしょうもない複線ではなく)、が好きな観客にはとてもとても鑑賞に
堪える代物ではない。

最後に、あまり指摘されていないけれど、ウォーリーのデザインは
「サイレント・グリーン」に似ている、質感が。それから、一台だけ残って
いる、というのは「ラピュタ」の園丁ロボットかと思った。船長の立ち
上がる際のシュラツトラはベタすぎ。

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November 24, 2008

映画評 ブラインドネス


お勧め度 ★

以下、あらすじと感想です。

ある日、一人の目が見えなくなり、原因不明の失明症がアウトブレイク
する。
街中に盲目の人があふれ、政府は彼らを隔離する。主人公は目医者の
奥さん。自らはなぜか感染から免れたが、夫について隔離施設に入る。
そこは元精神病院で、盲目者用にはできていないため、施設はたちまち
不衛生になり、補助の人もなく、彼女は秩序を維持するために獅子奮迅
の働きを期せずして求められることとなる。

そのような状態の中、別棟のなかから暴君が登場、なぜか持っている
拳銃と元から全盲の参謀役を力の背景に、配給される食糧を独占し、
金品や女性を要求し始める。主人公は「目が見える」という圧倒的な有
利な立場にもかかわらず、別棟の要求に従う。自分たちのサービス提
供を引き替えに食料を確保するが、仲間の女性が虐待により死亡した
ことで反撃を決意、別棟のリーダーを殺害する。

さて、謎の病気は、その後も外の世界で猛威をふるい精神病院の監視
役もいつの間にかいなくなった。主人公は少数の仲間(なぜ彼らなのか、
他の連中の行方は不明)とともに外に出る。そこで見たものは荒廃した
街と飢える人々、そして文明の崩壊だった。

普通はこのような事態になると、事件に直接関与する研究者などが主
人公になるのだが、今回は最初の感染者と目医者その他諸々。場所は
世界からは隔絶された精神病棟。スケールが小さい。人間、文明のから
を脱ぎ捨てると食べる・寝る・するがむき出しになるというのはしんみり
するが、まぁ、定番といえば定番。えげつない映像がけっこう多く、なん
ともなんとも。映画は約二時間で冗長。周りの景色はどんどん荒廃して
いくが、主人公たちは若干名をのぞいてほとんど健康優良児なので、ど
れほど腹が減っているかとか不便なのかというのは映像からはなかなか。

後世に残らない映画なのは間違いないだろう。

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November 08, 2008

映画評 ブロードウェイ・ブロードウェイ

お勧め度 ★ ★ ★ ★

コーラスラインのオーディションを撮影したドキュメンタリー。
コーラスラインはいわゆるスターではなく、舞台の端役というか
その他諸々の人々のオーディションを描いたミュージカルだが、
本編はそのミュージカルのオーディションのドキュメンタリーと
いうことで、劇中劇というか、映画の構造が入れ子のようになっ
ている。その構成がまず、面白い。

次に、この映画を見ると、24時間踊りに賭けている人たちが
わんさといて、その人達の悲喜こもごもが描かれるわけだが、
この情熱がしっかりと伝わってきて、触発されるというか、自分を
省みざるをえない状況に観客を誘う。見ている最中から、
「あぁ、今日が終われば一週間がようやく終わりだよ」などと
考えながら机に座っている自分は、「果たして、どこかのタイ
ミングで100%を出しているのか?」などと考えてしまう。
日々がんばりつつも、先行きの懈怠感を感じている人には居心地が
悪くても見る価値のある映画。

映画を見ての発見もあった。自分は、なんとなく、それなりの
ミュージカルや舞台で一度主役級に抜擢されれば、その後は
オファーがなんとなく来て、キャリアは続いていくものかと
思っていた。ところが、この映画では「フォッシーに出ていた」
という候補者がいるのだが、その候補者は最終選考の舞台に
立って、「この劇場にまた来れるなんて・・」と感慨もひとしおの
状況。
なんと不安定で非連続的でストレスフルな業界と驚き。
こと芸術系の仕事となるとこういうものなのだろうか、この点
でもぬるま湯チックな自分との対比で考えさせられるものが多い。

上映館が少なくて何かと不便であるが、これは観ていい映画。

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September 21, 2008

映画評 アクロス・ザ・ユニバース

お勧め度 ★ ★ ★ ★

全編ビートルズの歌を使ったミュージカル。なぜ、
映画が舞台に先行したのか?と見ると、やはり
舞台向きではない印象。場所が変わるし、特殊
効果も多いし。

 当初、時代背景や舞台が全くわからなかったの
だが、基本的にはビートルズが生きた時代を、多分
そのまま使っている。そして、リバプール生まれ
のバンドが世界に拡がっていくように映画の舞台
もアメリカに伸びていき、この辺はビートルズの軌跡に
は詳しくはないのだが、恐らくその軌跡をなぞるような
感じになっているのだろう。曲の使われかたも同様で、
初期のストレートな歌はそのまま、映画の前半に。
中期のわけわからん系の曲はそのまま中盤の
サイケな世界で使われている。その意味では曲の
使い方に奇をてらったというか、工夫な感じはしない。

 主人公はリバプールの造船所で働く、ジュード。
第二次大戦時に母と関係を持った、見たことのな
い父を求めてアメリカに渡る。スタンフォードで
働く父親は、場所のすごさとはうらはらにそこの
用務員で、かれはちょっとがっかり。しかし、そ
こで学生で坊ちゃんのマックスと知り合い、彼の
実家に招かれ、妹に恋をする。マックスについて
NYCへ行き、そこで多くの芸術家の卵達と知り
合い、自らも絵を描いて生計を立てる。展望は見
えないながらもそれぞれ夢を持って生きる若者達。
なんとなくレント的な舞台である。

 ところが時代はそんな呑気さや余裕を許さない。
マックスはベトナム戦争に召集され、妹は反戦活動
にのめり込んでいく。仕事で行き詰まる主人公との
距離は開き、家主のバンドはボーカルだけスカウト
された結果、解散となり、つかの間集まった人々は
ほどなく別れ別れに。主人公もデモで捕まった彼女
を救い出そうとして捕まり、不法滞在がばれてイギ
リスに送還される。マックスはベトナムで精神を
病んで帰ってくる。若さ、そして歳をとることの
悲しみが出ていて、陰鬱なまま長尺の映画が2時
間くらい経過する。ミュージカルの雰囲気はどこ
となくダンサー・イン・ザ・ダークを思わせるも
のだ。ミュージカルなのにこんな感じでいいのか
な、と思っていると転機が訪れる。歌はもちろん、
というかまっていましたの「ヘイ・ジュード」だ。
どういう方法かわからないがマックスと連絡を取って
彼は再びNYCへ、今回はちゃんとパスポートを
持って。そしてキャブの運転手になっているマックス
に連れられて街へ行くと、かつての仲間が屋上で
反戦コンサートを行っている。別れていた仲間達が
また再会、そして彼女も彼の歌に気づいて隣の
ビルの屋上にやってくる・・・
彼の歌う曲は”All I Need is Love”

 いろいろ経験して、愛ではどうにもならないよね、
というのが普通の人生なのだが、ここであえて、
最後の曲がこれ、というのはどうなのか微妙な感じ。

 ただ、曲と映像は全体的には良くマッチしていて、
特に、”I’ve Just Seen a Face”と”Dear Prudence”
は素敵な映像だ。

 映画の分類として、私は瞬発力と持続力の2軸で
プロットしている。瞬発力というのは、見ている最中に
夢中にさせる力。見終わった後、ほ~、というため息と
共に高揚した気分が味わえる映画である。持続力と
いうのは、見終えた後から時間の経過と共にいろいろと
思い出されるような映画。
通常は両方とも欠けたつまらない映画で、ハリウッド系
のどったんばったん系は、瞬発力はあるが持続力に
乏しい映画。しばしば、2時間時間つぶしするなら最高、
といった表現が用いられる。この映画は、瞬発力は
さほどだが、じんわり沁みてくる持続力のある映画だと
思う。

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September 16, 2008

映画評 崖の上のポニョ

今更ながらの「ポニョ」

 宮崎駿は前作の「ハウルの動く城」で話の筋はとんと冴えず、
輪をかけて映像も冴えず、と大きなお世話の心配もしたくなる
ような作品を世に出したのだが、今回のポニョは彼の映画の
中で最も観なくていい作品となった。

 ブリュンヒルデ(北欧神話?)という海の一族?神様?の
長女であるポニョは、いたずら盛りが過ぎて、年取ったハウル
みたいな父親の元を飛び出して人間界に近づき、そこでソウ
スケと出会う。ハムをもらってご機嫌のポニョ。優しくしてもら
ったからか、ポニョはソウスケが大好きになり、結果母親に
人間にしてもらうという話。

 どうもよくわからないのだが、ポニョは魔法の水?を大量に
浴びたからか魔法がやりたい放題で、その魔法が地球に
災いをもたらしてる。彼女が人間となることで、その魔法の
力が消え、世界には平和が再び訪れる。ご両親がポニョを
人間にする以外に収拾の付け方を知らないのも変な話だし、
一度は発生してしまったデボン紀の生き物たちはどうなって
しまうのかも気になる。

 全体の感想としては、特に盛り上がるところも感情移入
できる箇所もなくただ話が展開し、終わったという感じ。
嵐の中を車で無謀に走ったりやることはめちゃくちゃなのに、
登場人物たちの必死さや恐怖心などが全編を通じて何も
ないので、人間造作のリアルさが感じられない。フィクション
であることとリアリティがあることは全く別物であり、むしろ
フィクションであるからこそ、リアリティが必要なのにそれが
さらさら。さらに、話の筋としてのリアリティは首尾一貫性と
そうであることの因果律が必要だと思うのだが、それが説
明不足。なので、なんでポニョは海の魚なのに水道水に入
れて大丈夫なのだろう?とかトンネルを歩いていると魚に
戻っていくのはなぜだろう?とか魔法を発揮する際に半魚
人っぽくなるのはなぜだろうとか、答えのないところにちょこ
ちょことひっかかる。

 映像はセルアニメの気合いを見せるためのCGゼロだそう
だが、それがパステル調の絵だとすれば、まぁ、正面切って
の戦いを避けているだけですね。

 声優は今回も役者起用でうまい奴はうまいがへんなのも
いる。トトロの糸井重里以来違和感を覚えているのだが、
まったくジブリはもう、書いていていらいらしてきた。

 この映画で評価できるとすれば、エンディングが短い点
のみ。

お勧め度 ★

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August 31, 2008

映画評 スカイ・クロラ

スカイ・クロラ

お奨め度 ★ ★ ★


うーん、評価が難しい。
おそらく、ぽにょとこれではこちらの方が先に公開終了してしまうのだろうな、
と思ってこちらを鑑賞。

主人公はキルドレと呼ばれる永遠に成長しない子供達で、会社に雇われて
戦争をしている。部隊はヨーロッパっぽい所で、そこに日本語を使う主人公
達がいて、周りの人やテレビは英語だったりして、なんか状況は第二次大
戦の南洋に近いのかもしれない。無国籍っぽい雰囲気は良く出ている。

まぁ、会社だろうと国だろうと、なんだかようわからんものに価値を見いだし
て命を賭けることは人間にはたまにあることなので設定に違和感はない。
違和感があるのは主人公や上司にただよう、軍隊としての指揮のゆるみで
あり、事態に対する切迫のなさだ。しかし、そのような状況も見ていくと段々
わかってくる。戦争はいわば、一般人にとっては日常のスパイスであり、
主人公達キルドレは本人が意識していようとしていまいと、戦死したところで
似たような能力と癖を持つ個人が再生産される、いわば人造人間なのだ。

物語としては、主人公達の敵軍に、うち勝てぬ敵として、大人の人間が
乗ったと言う噂の、「ティーチャー」と呼ばれる機体が登場する。物語上の
意味であるとか必要性であるとかはよくわからないが、勢力均衡のための
装置なのかもしれない。

 マッチを折る癖など伏線はなかなか。また、最初の映像は、アニメで最も
難しいといわれる雲に真っ正面から取り組んでいて、おそらくはCGなのだろ
うが、見事な映像である。

戦争の種明かしを草薙中尉?が行っている点がどうにもマイナス。ラスト
近く、「仕留めた」と確信した瞬間の直後に悟る逃れられない状況というの
が非常に鮮やかに描かれている。場面はそこから主人公をみせるのでは
なく、ティーチャーからの視点でキャノピーに血が飛ぶ。見事な表現。第二
次大戦では似たようなシーンと状況がけっこうあったのかな、としんみり。
そういう状況ではない自分にほんわり。日常のありがたさである。

作中に散香という飛行機が出てくるが、これは震竜がモデルだろうか。
なんとも時代設定や舞台の不思議な作品である。
 見る前は、この声優陣、どうなのよ、と心配であったが、人物造形として
感情の起伏に乏しい面々なので、へたっぴ声優の棒読みがむしろ合って
いて、それほど気にならない。

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August 11, 2008

映画評 秒速5センチメートル

世間が「ぽにょ」とか「スカイクロラ」だと言っているのになぜか
この作品。なんせ忙しくて映画をやっている時間に劇場に行け
ないのだ。

いつの間にか祭も終わっているし・・・

さて、
 映像; ★★★★(キャラの絵がなぁ)
 声優; ★
 音声; ★★★
 内容;①★★★★
    ②★★★
    ③★
 ということで、
 お勧め度 ★ ★ ★

第1話
 中学生の主人公が親の関係で引っ越していった幼なじみに会いに
 雪の群馬に向かう話。
 主人公の述懐が、小難しすぎ。いかにも大人が頭でひねった作り
 出した用語をませた子供のように見せかているが、やはり違う。
 背景は素晴らしいが、人物描写が稚拙。変にリアルでも困るのだが。
 声優がスカ。特に主人公。声がかすれればいいのではないだろ、と。
 なに~。中1で小屋に泊まる!!観覧時、思わずのけぞりました。
 背景で言うと車窓から見える電線ののたくり具合がすばらしい。

第2話
 彼はかつてあった行動力はなくなり、内向的な少年から引きこもり
 的な青年になりつつあるようだ。主人公も親の都合で種子島の
 高校生になっている。
 しかしながら、屈託なく同級生を帰り道に誘うあたりは、なかなか
 モテの気配を漂わせている。
 何か起こりそうで、何も起こらない話。何も起こらないながらも、話と
 しては何かあるべきのような気がするが、なんだか何もない。

第3話
 アニメは30分単位という既成概念を打ち破る驚くべき尺。
煙や雁行など、ちょっとした描写のいい加減さ。雁はあんなふうには
 飛ばないし、風が吹き込んでいるのにコーヒーから湯気が直上して
 いるのは興ざめ。リアルな背景を目指すのなら、細部によろしく。
 この3作目は前の作品に較べてもさらに中身と展開がなく、山崎
 まさよしのプロモビデオになっている、納得いかーん。踏切の彼女は
 彼女なのか、彼の勘違いなのかもよくわからんではないか?
 再会するだけ、再会しろ、と。それでもって、打ちのめされろ、と。

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June 29, 2008

映画評 ランボー 最後の戦場

 インディ・ジョーンズとランボー、
80年代ヒーローの映画続編を続けて鑑賞。
世間の評価とは異なり、どちらかと言われれば、
私はこちらのランボーを推す。
お勧め度 ★ ★ ★

 両者に通じるのは、おじさんのアクション映画という点
である。
 おじさんがアクション映画で踏ん張っている姿には、
おかしくてやがて哀しきなんとやらという感傷が入
り込んでしまう。
 ランボーにしても引き続きタフな肉体を維持しては
いるものの、晩年の野球選手のようにバルクはある
が切れには乏しい肉体である。

 今回の舞台であるが、ターゲットはミャンマーの軍事
政権。とはいいつつ、ランボーが肉体を駆使して
対峙できるのはせいぜいその枝葉末節になるので、
何年も政権を維持している軍事政権がこれほど悪逆
非道なのか、一部のサイコな部隊がこうなってしま
ったのかはわからない。

 ランボーは前作とのつながりは不明だが、現在は、
タイの山村で蛇を捕まえ観光施設に売ることを生業
としている。資産は日本ならその辺の川下りを引退
したようなぼろ船だ。そこに、宣教師に率いられた
医者などの一行が訪れる。迫害されている隣国の
ミャンマー内のカレン族の所まで船を出して欲しい、
との依頼だ。すげなく断るランボー。

 ところが一行の中に1人綺麗な中年の女性がおり、
彼女がおまえらのやっていることには意味はないと
言い切るランボーに問いかける。世の中は変えられ
ないかもしれないけれど、
 Live for nothing, or die for something? 
 なんともむちゃくちゃな二者択一である。しかし、
ベトナムのトラウマによりすっかり隠棲を決め込んで
いるランボーの心にとげのようにその言葉が引っかかる。
 
 結局ランボーは無謀な彼らに手を貸し、ミャンマー
まで送り届ける。
 彼らは村までたどり着くものの、政府軍の襲撃に遭い、
あっさりと捕虜に。そんなことは知らないランボー
だが、彼の所に派遣元の宣教師教会のお偉いさんから
再びミャンマー行きの依頼が届く、捕虜奪回のために
傭兵達を運んでくれ、と。

 で、この後はおきまりのストーリーで、傭兵達の
一員となったランボーが政府軍からの逃避行と戦いを
繰り広げるわけだ。

 最初に書いたとおり、ミャンマー軍事政権の描写は
なんとも怪しいし、ストーリーは一本調子。しかし
ながら、この映画にはいい点というか評価できる点もある。

 一つにはリアルであること。この映画のリアルなところは、
肉の柔らかさが露骨に表現してあるところだ。死から
離れたところに住んでいると、ともすれば、「何で刀で
切られると肉が切れちゃうのかな?」などと現実喪失し
ているような疑問が頭に浮かび、さらには、自分は踏ん
張れば切られなかったりするのではないか?という
ような頭ではバカなと思っているようなことも思い浮かんで
しまう。それが、この映画を見ると、やっぱり人間て、
内骨格を発達させた生き物って、柔らかくてもろいのだな、
とわかる。とにかく、肉がちぎれ、飛び散るのだ。捕虜を
使った地雷踏みゲームや後段の戦いにおける銃の乱射シーン
など。もうそれは「やっぱそうだよね」というくらい肉と
血が飛ぶ。冷蔵庫に入って核実験にも耐えてしまうインディ・
ジョーンズとの明らかな違いだ。

 さらにリアルなのは、結局散々な思いをして、ランボーに
助けてもらった彼女が修羅場で探すのは、結局ランボーではなく、
同行している旦那?であることだ。戦い終わって日が暮れて、
怪我をして立ちつくすランボーに残ったモノはなんなのか?

 そして、もう一つ評価する点は、制作者(この場合はスタロ
ーン)がランボーという作中人物に正対していること。
最後のシーン、いかにもアメリカ的な風景にランボーは帰って
いく。行き先に家族はいるのか、映像はロングスパンで
そこまでは追っていない。もちろん、社会問題としては
何も解決していない。
 それでも、たとえ、今この瞬間に地球の裏側のアジアでは
虐殺行為が行われていようと、牧歌的なアメリカの風景の中で、
彼の心に平穏が訪れることを思わずにはいられない。

 中途半端な宝物や恋愛に流れず、復讐や正義にとらわれず、
自分のアイデンティティに内向していく点が、ランボーの
最終話として確かなエンディングだと思うのである。

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June 16, 2008

映画評 インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国

先行ロードショーを豊洲で鑑賞。

お勧め度 ★

 自分は2作目が一番好きだ。理由としてはヒロインの美人度
もある。今回オープニングのテロップで「カレン・アレン」の名前を
見つけて、まずがっかりした。レイダースでヒロイン役をやってい
たかわいくない女優だ。その女優がまさかヒロイン役で・・・と
思ったら本当にそうだった。これでまず減点。とはいえ、2作目の
ケイト・キャプショーとはスピルバーグの奥さんだから、彼女の
起用はあまり考えられないかな。まぁしょうがない。

 より深刻なのは、今回は話が破綻していることで、筋が
うまくつながっていないし、アクションシーン始めリアリティが
あまりに乏しい。端から見ていて冷や冷やするであろう場面
でも俳優陣はのびのびと演技をしているのでこちらも安心して
みれる。主人公たちの落ち着きぶりは一度クリアしたロール
プレイングゲームをもう一度やり直しているかのようである。

 結果、映画全体が単なる2時間のジェットコースターである。
「つっこみどころ満載だけど楽しかったでず」などというコメントを
書くのはごめんなのではっきりと言うが、シリーズ最駄作と
判断してまず間違いはないだろう。

 筋に引っかからない程度に不満を述べると、そもそも、
スカルを持って冒険の旅に出るその動機がわからない。
インディ・ジョーンズもすっかり年取って物欲はなさそうだが、
君は逃げているのか何かを知的好奇心に駆られて探して
いるのか?

 オープニングシーンだが、その後の展開とどうつながるのか?
スカルの特性を紹介しただけ?敵さんはなぜネバダまで取りに
来たのか、それがようわからん。

 最初のシーンのプレーリードック。CGがちゃち。動物CGの
見てられなさはその後の出てくるが、「魔宮の伝説」の頃が
懐かしい。

 肝心のスカル、磁性を持っているというが、その他貴金属も
吸い寄せる。当人が生きていたときはさぞ不便であったこと
だろう。しかしその割には普段はなにもついていない。砂鉄
程度吸い寄せて常にけばけばしていそうなものだが。

 文句を言えばきりがないのだが、観る方もいるかもしれない
ので黙っておく。インディ・ジョーンズファンは多いだろうが、
これは観て失望すること間違いなし。ひょっとすると後悔する
だろう、失われた2時間とお金を思い浮かべて。

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April 21, 2008

映画評 バンテージ・ポイント

場所はスペインのサマランカ、赤い屋根のきれいな古い町並みだ。
そこの広場に各国の首脳が集まっている。国際テロに関する多国
間の枠組み?がまとまる予定の首脳会議が開催されるのである。
そころが、その広場でアメリカ大統領がテロリストに狙撃される。
と続けざまに遠くで爆発音が、しばらくすると会場の舞台でも爆発
が発生する。

映画はこの暗殺と爆発に関して7人だか8人だかの目線を通して
直前の20分程度が繰り返され、それらを見ることによって全体像
がわかる仕組みになっている。主人公はデニス・クエイド演じる
シークレットサービスだ。主人公がシークレットサービスだけあって、
任務は大統領を守ることに特化。特に彼は以前にも大統領狙撃
事件を身をもって防いだことがあり、大統領に精神的に忠誠を尽
くしているようなところがある。したがって、事件の背景は本人の
興味のらち外のようであまり語られないし、アメリカ人をも引き込
んでいるテロ組織についても何の説明もない。

事件のあらましはわかるが背景がないので、見終わって事態が
わかっても、通り魔事件以上の深みを感じられない。さらに、
事件の解決も半ば偶然に近く、主人公がさんざん走り回ったら
目の前に答えが、という感じだ。2時間、何度も爆発を聞かされ、
けっこうなカーチェイスを見て過ごすことが出来るが、後になって
思い出すことはあまりない作品だ。ストーリーの構成がよくでき
ているが、作り手としての思想性がかけらもない、とってつけた
ようなファミリードラマはアメリカ臭がして、こちらをしらけさせる。

おすすめ度
★ ★ ★

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April 07, 2008

映画評 魔法にかけられて

久々にディスニーの凄みを感じる映画

おすすめ度
★ ★ ★ ★ ★

“Enchanted”
He was so enchanted, Henry Ⅷ spent
his honey moon here, again and again.
ロンドンのチューブの広告で見たHampton Courtの
宣伝文句だ。again and again のパンチ力とenchanted 
の語法になるほどなぁ、と感心したので覚えている。
したがって、この「魔法にかけられて」という邦題、
目立たないが、けだし名訳だ。

 この映画、最近下り坂のディズニー、しかもアニメと
実写の合成、とくれば駄作の匂いぷんぷんである。
私も、他の映画を見るつもりで、時間を間違えてこの
映画になってしまった。夜のため、観客は10人足らず。
おいおいと思っているまもなく始まり、しかものっけの
アニメでヒロインがかわいくない。これはどうなることやら、
と先行きに立ちこめる暗雲はそうとうのもの。

 悪役のディズニーの絵に描いたような魔女兼女王は
王女の座を死守すべく、継子の王子の姫を遠隔地に
隠している(もっと簡単に殺してしまえば?と思うのだが
殺さないところもディズニー)。ところが、歌声につられて
王子と彼女は出会ってしまう。ここまで5分。異例の早さで
ハッピーエンドに向かうのだが、本作はここからがスタート。
結婚式の当日、魔女に井戸に突き落とされた姫のジゼルは
なぜかNYCに落ちてしまうのだ。

 で、舞台はここから実写。彼女、実写版だと結構とうが
たっていて、二の腕もぷるぷる加減がいい感じであまり
お姫様っぽくない。もともと森の小娘だからいいのだが、
それにしてはいい歳である(これがだんだんかわいく
思えてくるから、なんかふしぎ)。

 そりゃ、中世からNYCにくれば話はややこしい。彼女には
同情すべき点も多いが、相当馬鹿なのではないかと思わ
せるようなどたばたぶりが続く。この辺で少しうんざり。
夜になり、雨が降り、困りまくる彼女に出会うのが子連れ
のチョンガーである、離婚調停弁護士のロバートである。
娘に請われて彼女を家に連れて行き、一晩泊めてあげる
のだが、翌朝も続く彼女の奇行に相当うんざりさせられる。
そりゃそうだ。

 しょうがなく職場に連れて行くが、彼女の発想がすべて
童話なのでおめでたいというかピュアで現実世界ではとんと
ずれまくる。特に彼の担当している離婚系の話とは全く
かみ合わない。このかみあわなさがなれてくるとそれなりに
おもしろいのだが、突然歌を歌ったりするミュージカル仕立て
は実写でも続いていて、リアルのなさをうまく表現している。

 一方、姫を失った王子と姫を毒殺すべく王女から送り込ま
れた執事役も次々とNYCにやってきて、ここからNYCを使った
異邦人のロードムービーの様相も呈してくる。

 出会ってから二日、彼は彼女の純粋さに惹かれ始め、
一方ジゼルも彼の物の考えに影響を受け始めて、お互い
微妙な雰囲気になったりするのだが、ご都合主義の映画
らしく、お馬鹿な王子がたくましくも彼女の居所を見つけ、
二人はめでたく、それぞれ収まるところに収まる。

 でも・・・あれ、なんか寂しいや、と感じるロバート。
 おかしいな、ロバートといる方が楽しいかも、と感じるジゼル。

 おいおい、どうなるだよー。悪役はというと、事の進展しなさに
いらいらを募らせた王女もNYCに降臨。彼女を亡き者にしようと
毒リンゴを彼女に食べさせる。「悲しい記憶をなくす魔法」と
言われ、かじる彼女。とたんに崩れ落ちるジゼル。彼女を
救えるのは・・・おとぎ話なら、そりゃ、王子様のキスだ。え?
誰の??マジ・・・

 アンチ・ディズニーがうまく映画を作ったらこうなるだろうと
言うような展開が次々に展開され、ディズニーどうしちゃったんだ?
としばし映画を見つつ呆然。あまりのブラックなネタにしばしば
哄笑。特に最後はそういう強引な展開かい!という勢いで
この辺はアニメならではの強引さをうまく利用している。

 にしても、馬鹿な王子、おまえいい人過ぎるぜ、私なら
ジゼルがそうなって喜べるかわからないよ!一方でアニメの
説得力ってこういうところにあるんだよな、としばし感心。
リスのCGはうっとおしいし、ドラゴンの死に方は安直だし
(何で燃えるの?飛べないの?)、あんな屋根の上でほほえむ
なんて生身の身でありえない、とかいろいろ思うのだが、
勢いで納得させられてしまう。そのくせ、おとぎ話のような
心情もありだよね、と普通のアニメを見るよりも逆説的に
思わせてしまうのもすごい。現実の世界で酸いも甘いも
かみ分けている弁護士君とジゼルが果たしておめでたい夢
の世界で生き続けられるのか不安だが、まぁヨシとしよう。

 音楽はアラン・メンケンで非常にいい仕事。そして
エンディングロールの映像が見事。彼女が現実世界に
いていいのかしらと思うけども、ともかくも驚きの2時間。
繰り返し見るかは怪しいが一見の価値は必ずある一品、
特にディズニーで気づけば育っていて、いつの間にか
見なくなってしまった団塊ジュニア世代が見るべき映画。

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February 03, 2008

映画評 I am Legend

今更の映画ですが・・・

ケルピン博士が発明したウイルスは当初ガンを根絶させる
驚異的な効能を持つウィルスだったのだが、理由はわから
ないがそれにより人類がばたばたと死に始めて、3年後に
は絶滅してしまった。主人公はそんな近未来社会での唯一
の生き残りでサムという犬とNYCに住んでいる。

副題に~人類最後の男~とある。つまり、終末もののSFだ、
そのような認識で前知識なしに見た。一方で頭の中では
「ちょっとおかしいぞ」とも感じていた。というのも
「I am Legend」という題名だが、レジェンドというから
には誰か語り部の存在が前提とされるわけで、「最後の男」
という言葉と整合しないのだ。

場面はインタビューから一気に進み、3年後。荒廃した、
というか日常生活がストップした状態のNYCに変わる。俯
瞰図から近づいて最初に見えるのは「アイアンフラットビル」
それから「国連ビル」。なるほど、アメリカ人が撮ると、こ
の辺をNYCとして撮るわけだ。しばらくちょっとした観光映
画の趣だ。舗装道路は所々ひび割れていて雑草が生えて
いる。

そしてその町中を失踪する主人公。突然目の前に鹿の群れが
現れ、ハンティングのシーンとなる。ところが、仕留めきれ
ぬまま、時計のアラームが鳴る。夕方、あわてて家に帰る。

この辺から何となく違和感を感じ始める。そして、夜になり
戸締まりをする。やたらと頑丈だ。何かにおびえるように犬
を抱いたまま浴槽に身を沈める。

翌朝、筋トレをし(素晴らしい筋肉)、近所のCD屋で新しい
CDを手に入れ、マネキンに話しかける。今までのCDをきち
んと返すのは、社会的生活の維持を大切と考えているからだろ
うか。公園で栽培しているトウモロコシを収穫する。12時に
はAMで他の生存者向けに呼びかけている待ち合わせ場所であ
るイーストポートにむかうが、誰も来ていない。その後、かつ
てはレストランだった退役空母の上で打ちっ放しを楽しむ。た
だ、武器は常に手に持っている。なぜだろう?

少し違和感がありながらも割と牧歌的なシーンが暗転するのは
この後。犬が入り込んだ建物の暗闇にいたのはなんとゾンビ。
そういう展開かよ。会場はたかだか5人。がらんとして暗い
映画館の中で一人、真剣にびびりました。

主人公は問題のウィルスに効くワクチンを作ろうとこのゾンビをとら
えて人体実験をするのだが、暴れるゾンビや動物にいちいちひ
やひやして制作者の思うつぼ。すっかり腰の落ち着かない映画
鑑賞となってしまった。

なぜこのような事態になってしまったか、そういう説明は時々
挟まれる主人公の回想シーンによって説明される。感染すると
大抵の人は死ぬが、一部はゾンビとなり、人間を襲う。その過
程で数少ない免疫を持つ人間も次々に死んでしまい、とうとう
ウィル・スミスが最後の1人となったわけだ。現在の住居を確
保し、体制を整えるまでも相当の苦労があったのだろうな、と
主人公に深く同情。補食される恐怖を映画で味わうのはジュラ
シック・パーク以来だが、わたしなら、孤独で気が狂うよりも
先にゾンビに対する恐怖で気が狂うだろう。主人公を見つつ、
なぜ人間は後ろにも目が付いていないのか!と我が身を恨
んだ。

さて、話は、というとここから、論理的に不可解になるのだが、
人間性を失っているはずのゾンビだが、明らかに1人、別格の
リーダーがいて、これがかなり頭がいい。それから動物にも感
染しているのだが、昼間いっぱい見かける鳥や鹿はなぜ大丈夫
なのか?と。ゾンビに食われて絶滅しそうなものだが。ゾンビ
もゾンビで主人公の所在地をそれまで突き止められないのが不
思議。NYC最後のごちそうだと思えば、一軒一軒夜間に調べて
もよさそうなのに。それから、主人公が自暴自棄になった時に
奇跡的に現れる女性と子供だが、あの状況からどうやって抜け
出して、しかもなぜに生存者の町を見つけられるのか?「神の
声」ってあんた・・・。主人公も最後に彼女のクビにある蝶々
の入れ墨を見て、娘の言っていた「ほら蝶々だよ」とう言葉を
思い出してなぜか神懸かってしまうのだが、これまた説得力な
し。

うーん、我ながら情けないほど・・・どのくらい情けないかという
と、夢の中で夢とわかっていながら腰抜けの行動しか取れない
自分にがっかりした時と同じくらいなさけない感じなのだが、
それほど気持ち悪くなるくらいひやひやしたので、ホラーとし
てはOK。後半は半分アクション映画やI Robotぽいが、特に前
半は怖い。ただ、SFとしては、これはないんじゃないの、と
思いました。そして私はSFを期待していたのです。

そのほか、
・ ケルピン博士が「あなたがガンを克服したのですね」と
   インタビューを受けて「はい、我々が・・・」と答えるあ
   たりがいかにも学者っぽい。

・ エンドロールで、ウィル・スミスのヘアスタイリストって
   のがいた。いらねーだろよ。

おすすめ度
 ホラーとして ★ ★ ★ ★
 SFとして   ★

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January 13, 2008

映画評 茄子 スーツケースの渡り鳥

今は絶版の黒田硫黄「茄子」の3巻に出てくる話
のアニメ化。
前作「アンダルシアの夏」に引き続き同じメンバー
で作成しているが、原作が中途半端なため、この
作品の出来も前回に比べると今ひとつ。

原作では「ザンコーニ、いったい何?」「チョッチ、
何がそんなにいやなの?」などが全く解明されない
まま話が進み終わるのだが、こちらは多少なりとも
納得いく説明をつけようとしている。

曰く、最初にマルコ・パンターニがモデルと思われ
るような自殺事件があり、当人と近しいチョッチが
それを期に思い悩む。曰く、ザンコーニもその当人
と近しく、いろいろ考えるところはあるようだ。曰く、
原作では茄子がほとんど出てこないが、今回は出
した、など。しかし、いかんせん原作が意味不明な
のでどうにもこうにも。

前回躍動感ある自転車の映像を作り出したスタジ
オジブリのような絵を描くスタッフは今回もいい仕
事をしている。
特にダウンヒルの映像は非常にリアル。問題は
アニメにリアルを求めるか?にある。リアルは求
めるにしても、実写と変わらないリアルさははた
して必要か?「わー、実写みたい」というのはほ
め言葉となるのであろうか?

1作目をみれば十分である。登場人物を元にオリ
ジナルな話を出すべし。

おすすめ度
★ ★

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October 29, 2007

クワイエット・ルームへようこそ 映画評

評判がいいって本当ですか?

公開2日目にもかかわらず、劇場はがらがら。早めに入ったのだが、そんな必要はなかった。
さて、「恋の門」で見事に期待を裏切られた松尾スズキの監督題2作。とはいえ、期待した
のは私で、そんなことは監督の知るところではないので、彼に罪があるわけではない。
この映画はオーバー・ドース(薬物過剰摂取)により精神病院に入れられた(自殺の可能性
があると精神病院行きになる可能性があるらしい)内田有紀の話。

知り合いに劇団の人間がいるが、不思議なことにいつまでたっても年寄り若く見える。
なんというか、世間ずれしていないというか、どこか浮世じみた雰囲気をかもし出している。
そんな劇団演劇の舞台が私は苦手だ。とにかく大仰なのだ。ミュージカルくらい突き
抜けてくれればよいが、劇の場合には中途半端に大げさかつ白々しく、どうにも
のめり込んでいけない。

この映画はそんな劇の演出をひきずっている。登場人物も端役にお友達を配置していて、
劇というよりも学芸会のノリだろうか。なぜそんな内輪受けにつきあわねばならないのか
と、自分でこの映画を選んでおきながら愚痴をこぼしたくなる。

しかしながら、劇的ではない登場人物の演技は自然で、内田有紀や大竹しのぶなどは
怪演の域に達している。内田有紀は相変わらずかわいい。

つい、登場人物や演技の話になってしまったが、内容はこれが徹頭徹尾おもしろくない。
登場人物に感情移入できないのはもちろんのこと、内田有紀の言う「面白い国の人々」
の面白さも内田有紀の属する「つまらない国の人々」の浅薄さもどちらもうっとうしい。
げろとか失禁とか、肛門系の話が多いのも不愉快だ。「恋の門」でもげろげろとリアリティ
のないげろを吐き散らしていたが、口唇期固着か?

内田有紀を2時間見るつもりなら十分だが、それ以外の理由で見に行く必要はまったく
ない。同じひとつ星ではあるが、トランスフォーマーと比べると、主人公がかわいいだけ、
こちらのほうが若干上である。

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October 08, 2007

SICKO 映画評

SICKO
マイケル・ムーア
★ ★ ★ ★

エンドロールが続く中、たまにコメントが書かれている。そのうちのひとつは、
「ありがとう、カート・ヴォネガット」
この意味は日本で誰がわかるのだろう。
私もわかった気はしていないが、どこかと言われれば、ヒラリーが保険制度の委員会に
おいてDr. Kevorkianをたとえに出している箇所だろうか?

今回のネタはアメリカの医療制度。
アメリカの医療保険が、法外なのは有名な話だが、ムーアに掘り起こされるといろいろな
問題が出てくる。指を二本切断して、医療費が高かったので1本だけつなげた話。保険
会社と提携していない病院で治療が受けられず、提携している病院に連れて行く最中に
子供を死なせてしまった母親、9.11のヒーローの一人にもかかわらず、市の職員でない
というだけで、被災地の環境が原因の呼吸器疾患の治療を受けられない人、医療費が
払えないため、病院から文字通り捨てられる人(生活状態の劣悪さが染み付いている
ような顔つきでこれがまたなんとも・・・)。

保険会社の悪辣ぶりも散々に描かれるが、こういう個別例を出しての批判はリアルだが、
全体像を提示しているかどうかは疑問だ。ただ、まぁそういう傾向はあるのだろう。
出産でも金がかかるからと、みな2日くらいで退院してるし。

行動力のあるムーアは、今回はカナダだけでなく、イギリスやフランスにも行く。みな
国民皆保険で、医療費は只同然だ。税金や無駄遣いやいろいろな問題はあるの
だろうが、フィルムからはそれらはあまり出てこず、制度を享受するうれしそうな顔が
並ぶ。これらの国の制度を知ると、翻って日本の保険制度はそれほど優遇されたもの
ではないのがわかる。ムーアはアメリカに対して述べているが、見ている自分は
日本について考える。やはり国家というのは必要最低限の衣食住を維持してこその
国家だな、と。憲法25条が思い浮かぶ。

途中、イギリスの上院議員の爺さんが出てきて、なかなか悪辣なことをいう。国民が
健康で自身があると扱いにくい。だから、国家は福祉制度を弱めて、国民から健康と
自信をなくす。そうすると、国民はプロテストすることもなくなる、と。

ムーアのやらしいところは、患者を連れてキューバまでいき、そこで治療をしてもらう
点だ。アメリカに対して、あなた方が宿敵としてさんざんいじめて馬鹿にしてきた国
でもこの程度のことはしているんですよ、と見せつける。患者たちは廉価の治療で
大喜びだが、その費用は貧乏で有名なキューバの税金でまかなわれており、受益者
が裕福なアメリカ人というのは引っかかる構図だ。旅費は高かったかもしれないが、
患者たちはキューバにはなんら貢献していない。

全編を通じて派手な映像があるわけではなく、映画館の画面で見る必要があるのか、
と言えばないのだが、考えさせられる作品だ。この作品を撮るためにムーアは
20kgやせたそうだが、20kgやせてあの姿なのだろうか、とてもそうは見えない。

それから、チェ・ゲバラの娘という人が出ていて、医者になっていた。お父さんの遺志を
ついですばらしいな、となんとなく思った。

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September 30, 2007

トランスフォーマー 映画評

トランスフォーマー
マイケル・ベイ

CGがすごい?それが何か?

前知識ほぼゼロで観た。形を変更できる機械生命体が攻めてくる、というのは
スタートレックのヴォーグではないが、SFごころをくすぐる設定だ。偶然か知ら
ないが鍵を握る立方体があり、これまたヴォーグキューブにそっくり。

この機会生命体来襲の設定を知り、「まさか機械生命体の中に地球人の味方、
なんてしょうもない存在がいたりするなよ」と思ったらこれがいた。これががっかり
でのっけからつまづいた。

次に気になったのが、トランスフォーマー達の素の格好。人間がロボットを作って、
それが人間をモデルにしたので人型ロボットだ、というのはわかる。なぜ、どこの
星で生まれたかもわからない機械生命体が、たまたま人型をしているのか謎。
こんなところに気にかかると、話を全く楽しめない。

単純な善玉/悪玉の設定だが、主人公達はどうして彼らの話を鵜呑みに
できるのだろう。主人公はともかく、その他セクター7だかマジェスティック12だか
の連中まで素直に信じてしまうのはこれまた謎。

トランスフォーマー達はどうも機械をコピーできるらしいが、フーバーダムに向かう
に際して、なぜのたくたと車の姿で行かねばならないのか?飛行機になればよ
いのに。そもそもなぜに車?アメリカだから?

トランスフォーマー達が帰れなくなったのもよくわからない。何がないから?ロケット
になる、ではダメなのか?敵役さんは1人帰っていったぞ。

戦い方が謎。いろいろな武器があるのに、どうして最後はとっくみあいなのか?
キューブを持って逃げる主人公。行き先はビルの上。ヘリに例のキューブを渡す
ためだが、どうしてヘリに渡すことが安全と言えるのか?オープニングでヘリが
まさに敵に化けたわけで、機械は信用ならない、というのがこの設定の前提に
あるのではないのか?

とにかく説明不足なのか設定があほなのか、納得できないまま話が進む。
オープニングの処理がなかなかうまいだけにお粗末な話の展開と設定。

敵役の親玉もなぜわざわざ砂漠のラスベガスの近郊まで持ってくるのか?
アラスカに置いておけ。マッキンリーでもいいぞ。フーバーダムにしまうって?
運ぶ方が目立つわい。

ともかくも今年最低映画候補である。

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September 24, 2007

レミーのおいしいレストラン 映画評

レミーのおいしいレストラン

★★★

念願かなって鑑賞。
ブラッド・バードの新作である。

レミーはどぶネズミ。しかし、他のネズミと明らかに違うのは食べ物の味が
わかり、料理が大好きなこと。五つ星レストランシェフのグストーのテレビ
番組をこよなく愛する変わり種だが、その好奇心が災いして家の住民に
見つかってしまい、一家は離散、レミーは下水で流れてひとりぼっちになって
しまう。そのレミーが幻想であるグストーに励まされて配管をのぼっていくと、
外にはパリの夜景が。そうか、レミーは自分がパリに住んでいることも知ら
なかったのか。

一方、グストーの隠し子で本人はそんなことを知らず、料理のセンスも
からきしの冴えないリングイニ。母を亡くし、つてを頼ってやってきたのは
グストーの店。そこで雑用係として雇われることになった。
リングイニはひっくり返した鍋を取り繕おうと適当に食材をぶち込む。
見かねたレミーは調理をし、以前にもまして素晴らしい味に仕立てる。
レミーが作る所をみかけていたリングイニとレミーは、方やレストランを
クビになりたくない、そして方や料理をしたい。両者の利害が一致して
おかしな協力関係が始まる・・・

レミーが登って、パリの夜景が出てくるシーン。
レミーが食べ物をかじって背景にその味が表現されるシーン。
辛口評論家のイーゴがラタトゥーユを食べた瞬間に起こすスラッシュバック。
ラストシーン、すっかり隈のなくなって健康的なイーゴ。

そこかしこに素晴らしいシーンがあるのだが、全体を通じた印象は「冗長」。
なぜだろうか?と考えると、おそらくは制作者がネズミと人間の関係性に
徹底的にこだわったことによるのだと思った。

「やがて成長して独り立ちするリングイニと、しょせんねずみのレミーとの別れ。」
「2人だけの秘密としていつまでも続く友情と秘密の料理。」
などというありがちな結末を用意することなく、作者は徹底的に両者の関係
を詰めていく。レミーなければ何もできない最後まで成長しないリングイニと、
ネズミというハンデを抱えて世に出られるわけでもなく、料理人として認められる
可能性のないレミー。両者はどこで落ち合うのか?なんとそれの仲立ちをする
のがイーゴなのである。最終的にはほぼ分業に近いが、それでも両者は共存
している。本当か?その姿を描くために、この話はおそろしいほどまどろっこ
しい展開をする。まどろっこしくないのはリングイニと彼女のコレットだっけな、
の恋愛譚だけだ。これなどはむしろ、その必然がまったく感じられず観客
置き去りに近い。レミーとリングイニはそれぞれ依存する関係ながら、お
互いの出自や家族の都合などによりいちいちまぬけな危機を迎え、観ている人間を
いらいらさせる。
 
 とはいえ、基本的にはいい映画だ。映像のすばらしさは言うに及ばず、
話として破綻していない。納得行かないのは魅力的な料理人の仲間が
ほとんど何の役割も映画の中で果たさないことと、リングイニののび太級の
冴えなさが最初から最後まで続く点くらいだ。

 私は見ながら、ネズミの寿命は数年と聞いているが、一体この先どうするのだろう?
ということばかり気になってしまった。あと、ネズミはやはり基本的には気持ち悪い。
どう考えても不衛生である、という一般的知識がどうしてもイーゴのようなブレーク
スルーを私から奪ってしまった。

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September 22, 2007

キサラギ 映画評

キサラギ

★★

本当は「レミーのおいしいレストラン」を見たかったのだが、時間が合わず、なぜかこれに。
キサラギというのは死んだB級アイドルで、その一周忌にコアなファン5人が集まってアイドル
を偲ぶ、という企画だったのだが、集まったメンバーの中に、
「彼女が実は自殺ではなく、他殺だった」
という持論
を展開する奴が現れ話がこじれていく。
話が進むにつれ、伏線がからみあい、各人の素性が明らかになり、話が思わぬ方に展開する、
シチュエーションコメディ。

世評での評判が良いだけ有り、途中までの展開は非常に練れている。なるほどそう来るのか!
という脚本の構築の緻密さを感じる。しかし、見ながら途中で案じたとおり、ラストへの展開が
ぐずぐず。
宍戸錠を出したり、不細工なアイドルを出してみたり(人気がでないと言う点ではリアルでは
あるが、そもそもアイドル足り得ない容姿)した時点で軟着陸に失敗した凡策となった。俳優
の演技やせりふも痛い。特にユースケ・サンタマリアの台詞と演技はいただけない。人を殺人
者呼ばわりしながら握手で済まそうとするなど、人間的に問題なキャラであり、リアルな像を
構築できていない。腹下しのデブも、なんというか品のない演出である。

映画の季節はどうやら冬のようだが(たしか2月)、光は夏だし、冬に降る夕立ってなんなの
だろう?プラネタリウムも、製品の紹介かと思うくらい白々しい。と欠点を挙げていくと、結論
としては、世間でもてはやされるのが全く理解できない、ということになる。映画の画面で見
る作品でもないし。

あー、やっぱレミーだったか??

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March 21, 2007

「橋を渡ったら泣け」観劇記

演出;生瀬勝久
主演;大倉孝二、奥菜恵、戸田恵子 など

観てきました。渋谷のシアターコクーンでよる7時から。
3月29日くらいまでやっているらしいです。

大倉孝二以外の予備知識無しで行ったのですが、なんと
主役はその大倉孝二。彼ってどちらかというとバイプレイヤー
的な印象があるのですが。すげぇ。

筋は、というと、日本が沈没してしまい、諏訪湖の
遊覧船船員だった大倉が、旧乗鞍岳の山頂(今は島)
にたどり着くところから始まります。

以下ネタばれだらけです。

島は2つに分かれていて、橋をわたった所に水場があり、
人々はそこに集っています。生き残りは元々20人程度いたらしい
のですが、大倉がついた時には総勢7名になっていました。
この辺が秘められた過去でサスペンス含みです。

その7人の中のリーダー(実はこのリーダーもその前の暴君を倒して
リーダーとして認知されたのですが)が、ありがちなことに
食料をおさえて権力を握り、やがて自分勝手なルールを基に
専横的になっていきます。その専横がひどくなったところで
革命?が起きてなんと大倉が新しいリーダーに。しかし
大倉もだんだんと威張るようになってきて・・・

おいおい結局は前の人の二の舞じゃん、と観客が危惧した
ところ、自覚した大倉はそうはならないために、彼女を捨てて
船に乗ってあてどのない漂流に出て行く、って話でした。

観ていて、クメールルージュや日本赤軍を思い出しました。
是のテーマは
「衣食足りて礼節を知る」?
「権力は腐敗する」?
「人はなぜ反抗できないのか?」
「社会システム論?」
「狂気の中で正気を保つことの困難さについて?」
「孤立すれば、当人にとってはそこが世界になる?」

よくわからんです。もっとよくわからんのは終わり方の甘いところで、
その後なぜか舞台は2年後になるのですが、人々の生活がなぜか
劇的に改善されていて、なぜか町ができている。そしてある日
沖合に見慣れた大倉の船が!

なんという安易なハッピーエンド。観ていて、「ん?終わり?」
って感じでした。そして、おいおい、という感じ。

つーことで、結論は、観る甲斐無し。

演技について、
劇というのは役者の過剰な肩の力から、導入部分で観客として
その世界に乗りそこなうことがままあるのですが、この作品も
乗りそこない気味でした。しかし、観ていくうちに慣れました。
大倉孝二はやはり大倉孝二な演技でした。
奥菜恵って演技うまいなぁ~、と感心しました。

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